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南アフリカの歴史を振り返る
南アフリカは人類発祥の地としても注目され、最近でもたくさんの原始人の人骨が発掘されています。
先住民とされるのはサン族とコイ族で、現在の人口の大部分を占める黒人がこのアフリカの地にやってきたのは15世紀ごろといわれています。
主な出来事の歴史年表は以下の通りです
- 1497年:バスコダガマが世界一周の途中に立ち寄る
- 1652年:東インド会社がケープタウンに上陸
- 1867年:キンバリー周辺でダイヤモンドが見つかる
- 1886年:ヴィットヴァーテルステントで金鉱脈が見つかる
- 1910年:南アフリカ連邦が成立
- 1948年:アパルトヘイト(人種隔離政策)を開始
- 1962年:ネルソン・マンデラが投獄される
- 1990年:ネルソン・マンデラが釈放される
- 1991年:アパルトヘイト関連法が廃止される
- 1994年:マンデラ大統領が誕生
- 1999年:ムベキ大統領就任
- 2008年:モトランテ大統領就任
- 2009年:ズマ大統領就任
- 2010年:FIFAワールドカップ開催
アパルトヘイトの導入
簡単に言うと、黒人にとっては生活しにくく、白人にとっては生活しやすくなる制度です。
1948年からさまざまな人種差別政策を採用してきましたが、雑婚禁止法や背徳法では、異人種間での混交を禁止しましたし、分離施設留保法では交通機関、公園、トイレ、レストランなどの公共空間が人種別に厳しく隔離されることになりました。
さらに、白人が支配する国土から黒人が厳格に切り離されるようになりました。
島国に住んでいて、基本的に人種による違いのない私たち日本人には、肌の色でこのような差別をすることについて、まったく理解しがたい政策なのですが、それがまかり通っていたのが一昔前の南アフリカです。
ネルソン・マンデラ
おそらく世界で一番有名な南アフリカ人が、このネルソン・マンデラです。
日本人であるみなさんでも、一度はこの名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか?
1918年に生まれたマンデラ氏は、平和的に多人種民主国家を築くために人種融合を重点的に進めた、南アフリカのカリスマ的政治家です。
コーサ族王家の血筋を引く彼は、非黒人として始めて弁護士を開業した人物としても知られていましたが、反アパルトヘイト運動を開始することで、27年間も獄中生活を送ることになりました。
しかしながら、、獄中の身でありながら、活動の合法化や共に逮捕された幹部の釈放、そしてアパルトヘイト政策の廃止などを、懸命に訴え続けていきました。
この間、国際社会は人種差別を続けている南アフリカを厳しく非難し、1989に就任したデラルーク政権では、アパルトヘイトの撤廃を掲げ、マンデラ氏を釈放しました。
そして、釈放されたマンデラはデラルーク大統領とともにアパルトヘイト政策を全て撤廃することに成功するのです。
南アフリカってどんな国?
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